祝キューバ革命勝利60年

  • 2019.01.02 Wednesday
  • 06:43

60年、革命はまだキューバで生きている

(60 Years On, Revolution Still Alive in Cuba)

2019年1月1日 teleSUR発

Fidel Castro and Che Guevara, two revolutionary leaders who brought down Batista

バチスタ独裁を打倒するためにやって来た二人の革命の指導はフィデル・カストロとチェ・ゲバラ。|写真:EFE

 

米国による封鎖にもかかわらず、キューバは革命の正当性を保持し続け、フィデルやチェといった指導者たちが思い描いた社会の建設を継続している。

 西側の資本主義支配の変革を求め、カール・マルクスやウラジミール・レーニンという哲学者だけでなく、ホセ・マルティやシモン・ボリバルといったラテンアメリカの独立に貢献した人物によって触発された若い革命組織によって、バチスタ独裁が打倒されてから60年が経過した。

 60年前、1959年のこの日、革命の指導者フィデル・カストロ率いる反乱軍が首都ハバナを奪取し、バチスタ軍が逃走した。それ以来、社会主義の原則を基礎とした国家建設の永くて、険しい旅が始まった。

 キューバ革命は、多くの者によって非常に美化されただけでなく、広く報道され、文書化されてきた。それは、それぞれの国で帝国主義と闘っている南半球の人民にとって新しい夜明けとして希望を与えた。

 

【キューバ革命】

 グランマ号がキューバに一握りの若い反乱軍を運んだ1956年に革命は開始された。しかし、ハリケーンがこの小さな島国を襲う前に、ずっと嵐が起きていた。

 1899年1月1日、スペインの植民地支配に対するキューバ独立闘争を闘ったスペインとの戦争の後、キューバは米国の支配下に入った。1902年まで、直接の米国の軍事政権がキューバを統治していた。

 1902年から1925年まで、3人の大統領がキューバを統治したが、いずれも米国に支援された、腐敗に満ちたものだった。ヘラルド・マチャド・イ・モラレスが権力に就いた時、キューバの最初の独裁が始まった。テロ支配は、1928年に彼が2期目に入った時に始まり、1933年に軍が彼を追い出した時に終わった。

この日、キューバの革命家を乗せた伝説の「グランマ」号がプラジャ・ロス・コロラドスに上陸した。これが、勝利となり、今日の社会的成果を獲得したキューバ革命の出発点となっている。

 

 マチャドの支配下で軍の統率を握っていた軍曹、フルヘンシオ・バチスタ・イ・サルディバールが翌年のキングメーカーとなった。彼は大統領をとっかえひっかえしたが、彼が選択したほとんどは米国の支援を受けていた。

 1940年に、当時大佐だったバチスタが大統領に立候補することを選び、当選した。1944年にはバチスタが選んだ立候補者が大統領選で敗れた。

 それで、バチスタは再び、1952年の選挙に立候補することを選択した。しかし、敗北を予想したので政府を打倒して、議会を閉鎖し、1954年に選挙を要請した。1955年に彼は再選された。

 多くのキューバ国民は1955年の選挙の正当性に疑問を持っており、反対運動を展開した。多くの抗議行動参加者の一人がフィデル・カストロだった。

 1952年、法学部を卒業したばかりのフィデルはキューバ人民党の立候補者だったが、バチスタのクーデターが選挙を取りやめにした。軍事行動の重要性を認識して、フィデルは議会政治から一歩踏み出し、直接的な攻撃へと集中していった。

 1953年7月26日、弟ラウル・カストロと一緒に、160名の男たちを率いてサンチャゴ氏にあった軍隊の兵舎「モンカダ兵舎」を急襲した。それは流血に終わり、カストロ兄弟は投獄された。1955年に釈放された時、兄弟はメキシコに残り、そこで同国の永遠の政治的情勢を変革しようと革命を構想した。

 81人の革命家組織は、1956年に有名なグランマ号に乗ってメキシコからキューバへと航海した。グランマ号は東部の街ロス・カジェロス近くで難破した。難破はすでに数人の命を奪い、バチスタ軍が残った者を攻撃した。残った19人と共に、カストロ兄弟、カミロ・シエンフエゴスとチェはシエラマエストラ山の奥深くへ逃げ込んだ。

 コマンダンシア・ラ・プラタとして知られているように、離れた隠れ家は、1959年のバチスタ打倒に導いたゲリラ戦争を開始した革命家たちの基地となった。

 

【革命キューバ】

 米国がキューバに対する干渉を始めた時、キューバ人民はこの歴史的な勝利を喜びすぎることはなかった。フィデル・カストロのキューバ政権は何度も米国が支援したクーデター攻撃に見舞われた。フィデル自身への数限りない暗殺攻撃があった。

 その頃、世界は資本主義米国と共産主義ソビエト・ロシアの間の冷戦の最中だった。イデオロギー戦争が実行されていた。そのまさに玄関前に社会主義国が現れたことは米国を揺り動かした。彼らはカストロ兄弟やチェのような共産主義指導者を追放したがった。

 しかし、その指導者たちも、その国も両方とも生き残った。それだけではなく、キューバは、米国が禁輸政策を取っている間も目標に向かって前進した。

 革命キューバは、社会を向上させることを目指した一連の改革を目の当たりにしている。医療と教育部門は著しく改善し、世界へ派遣されたキューバ人医師は社会的に無視された地域で働き、すべての人に無償で医療を提供している。

初期の永いミッションの後23.6%から僅か3.6%に激減させて、キューバは非識字を撲滅した。

 

 この国は、識字ミッションを開始して1年以内に23.6%から僅か3.6%に非識字率を激減させ、1961年に非識字ゼロを達成した。現在では、非識字率は0.2%で、世界で最も高い国の一つである。

 「医療、教育、労働、食料、安全、文化、科学、健康で安心した暮らしへのすべての市民の平等な権利は、それは、我々が闘争を開始した時に宣言した同じ権利に他ならない。さらに、我が世界のすべての住民のために、公正と平等という我々の夢から生まれ出て来る平等の権利は、私がすべての人のために願うことである。」は、フィデルの有名な発言の一つである。

 革命の哲学および平等と公正な社会というフィデルの理想を継続して、キューバは2018年に現大統領ミゲル・デャアスカネルのリーダーシップの下で第4回目の新しい憲法草案を提示した。

 憲法草案は1976年憲法の改訂を示すものである。新しい憲法には、国家の社会主義的性格、共産党の国家の指導的役割を維持しながら、同性愛結婚、私的所有の承認、天然資源の持続的な使用、中絶の権利、それと基礎的サービスの利用に関する改訂が盛り込まれる予定である。

 キューバの新しい憲法草案は、8月13日から11月15日の間に組織され、幾つかの市民提案が出てきた地元レベルでの133,681回の討論の後、起草された。約900万人のキューバ国民がこの予備討論に参加した。

 最終草案は、2019年2月に投票に掛けられ、国民投票で承認される予定である。キューバ議員によれば、共産主義は「すべての人にとって正当な願望」であり、彼らは共産主義に向かう社会の前進を約束し、この新しい憲法と共に革命を継続する。

 「私は82人の男たちと共に革命を開始した。もし、私が再びそれをしなければならないとすれば、10人であろうと15人であろうと絶対的な信念を持ってそうする。あなたが信念と行動する意欲を持っているならば、あなた自身がどんなに小さくてもそれは問題ではない。」―-フィデル・カストロ。(N)

原文URL:

https://www.telesurenglish.net/news/60-Years-On-Revolution-Still-Alive-in-Cuba--20181227-0018.html

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趣旨

今、ラテン・アメリカでキューバを先頭とする社会主義、ないし社会主義を志向する大衆闘争が注目です。特に、昨年末(2015年)アルゼンチン、ベネズエラで右翼が勝利し、米国に支援された反動右翼と進歩的な人民大衆との熾烈な階級闘争が繰り広げられています。日本のマスコミは歪められたものしか報道していません。 だからこそ今、目の前で闘われている大衆闘争について現地の報道機関やブログで報道されているものを日本語にして日本の労働者に紹介していくことは、国際連帯としても日本での民主主義を闘いとる闘争にとっても有意義なことであるように思います。

おことわり

このブログでは英文記事を翻訳してご紹介しておりますが、筆者はかなずしも英語に堪能であるわけではありません。 従って、多々誤訳等があるかと思いますが、ご容赦願います。

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