2018年6月26日はチリの元大統領アジェンデの生誕100周年

  • 2018.06.28 Thursday
  • 06:26

今のベネズエラに対する米国の経済制裁や妨害を見れば、チリのアジェンデ政権に対する米国の経済的な妨害活動も想像できる。マスメディアはそれを社会主義の失敗だと宣伝している。


サルバドール・アジェンデ:忘れられた先駆者

Salvador Allende: The Forgotten Precursor

2018年6月26日 teleSUR(by Atilio Borón)発

Salvador Allende and Fidel Castro.

サルバドール・アジェンデとフィデル・カストロ。|写真:EFE archive

 

110回目の誕生日を迎えて、万人の、愛すべき、我がアメリカに欠かせない人物、1998年にベネズエラで始まった左翼運動のサイクルの偉大な先駆者に敬意を捧げよう。

 1959年のキューバ革命の勝利と共に、ラテン・アメリカとカリブ海で第二の、そして最終的な独立に向かう行進が再開されたことは良く知られている。ベネズエラ・ボリバル共和国となる大統領にウーゴ・チャベスが登場したことは、一般的にはこの長い行進の2番目の一里塚だと考えられている。

 もちろんそれは正しいのだが、それには、短期間であったが巨大な重要性を持つ、非常に重要な中間の段階、すなわち1970年から1973年にかけてのサルバドール・アジェンデとチリ人民連合が抜けている。

 チリ内外の右翼の宣伝組織によって埋められてしまった忘却の中から、我々は一つの段階を救い出さなければならない。

 アジェンデは、後にベネズエラ・ボリバル政府、ボリビアやエクアドルがはるかに有利な経済的、国際的、政治的状況の中で実施することになる政府綱領からは羨ましがられることが何もない政府綱領を持って、『パラシオ・デ・ラ・モデナ(チリ大統領官邸)』に登場した。

 揺るぎない社会主義の信念を持つ男アジェンダは、人民連合の綱領の実施を少しも遅らせることなく、チリの資産を国有化するといった卓越した方策を採用した。すなわち、外国の会社、中でも巨人アナコンダ・ケネコットと国内独占が保有していた、大きな銅、鉄、硝石と石炭の鉱山の国有化である。約3000万US$の初期投資で、その後42年間、アナコンダとケネコットは40憶US$以上の利益を海外に送金した。

 これに満足することなく、アジェンダはチリのほとんどすべての金融制度、すなわち民間銀行と保健会社を国有化し、この国に有利な条件で主要な構成要素の大多数を獲得した。

 彼は国際電信電話会社(IT&T)を国有化した。それは通信の独占企業であり、CIAとともに社会主義者の大統領の就任を妨害することに従事するテロリストを組織し、財政支援していた。

 アジェンダはまたチリの大きな鉄鋼の会社を復活させ、国家によって作られた後、民営化した。

 彼は農業改革を加速化し、深めた。それはキリスト教民主党の前任者によって遅らされ、ためらいがちにしか進んでいなかった。

 短期間に終わったチリ社会主義共和国(1932年6月4日から9月13日)の忘れられた法律を適用することによって、それは所有者によって放棄され、麻痺された会社を没収することを大統領ができるようにしたのだが、アジェンデは「社会的所有の分野」を確立し、その中でチリの経済的、社会的発展に結びつく会社(外国貿易、電力の生産と分配、鉄道、空と海の輸送、通信、生産、石油とその派生物の精製と流通、鉄鋼、セメント、石油化学と重化学、セルロースと紙など)を国家の管理下に置いた。

 アジェンデは彼が政権に就いて数年のうちにこれらすべてを実施し、偉大な人民出版の設立は別としても、チリに文化全般をもたらし、数十年の間、残忍な新植民地主義のオルガーキーの重荷に苦しんできた人民に尊厳を復活させた。

 これすべてが、絶対的にこれすべてが、憲法と法律の枠組みの支配を逸脱することなく、人民連合政府の下で実施された。それにもかかわらず、古いオルガーキーの右翼とキリスト民主党の主なセクタは、僅かな自制をすることも無く、不名誉な泥の中をのたうち回り、米帝国の反動的で犯罪的な策略のために現地工作員として仕えるために民主主義の規範に対する彼らの敬意(ほんの僅か)を投げ捨てた。

 1970年9月4日の夜ワシントンによって解き放たれた策略は、ずっと続いていた。その時というのは選挙が人民連合に勝利をもたらせた時である。激怒した詐欺師リチャード・ニクソンは、間もなく登場するアジェンデ政府を全力で妨害するように命じた。

 議会がアジェンデの勝利を承認する僅か前に、憲法主義者の将軍レーン・シュナイダーの暗殺は、アウグスト・ピノチェトの独裁がチリの死と破壊の種を蒔く陰鬱なチェインの最初の結び目に過ぎなかった。

 キューバ革命とその時代のすべての解放理念へのアジェンデの変わらぬ連帯は、米国の怒りとアジェンデの終わりをもたらす重大な決定に点火したもう一つの要因だった。1967年に、チリ上院の議長として、アジェンデはキューバへの安全な帰還を保証するために、ポンボとウルバノ、

ベニグノというチェ・ゲリラの生き残りの3人に同行した。

 これらすべての理由のために、チリの医師が引き起こした挑戦、すなわち「赤ワインとエンパナーダを味わえる」社会主義の建設、21世紀の社会主義の先駆者は、ワシントンのよって感情的に反対され、懲罰の対象とされた。特にその時、ベトナムでの壊滅的な敗北の危機に圧倒された帝国は、「裏庭」の無条件の服従を確保する必要を感じていた。

 しかし、一貫したマルクス主義者であるアジェンデは、彼の信念においても、政府が追求した政策においても利益を得ることなどしなかった。そして、あの運命を決した1973年9月11日のマガジャネス・ラジオで最後の演説で話したように、彼は革命に命を捧げた。

 この6月26日、彼の生誕100周年に、万人の、愛すべき、我がアメリカに欠かせない人物、1998年にベネズエラで始まった左翼運動のサイクルの偉大な先駆者に敬意を捧げよう。(N)

原文URL:

https://www.telesurtv.net/english/news/Salvador-Allende-The-Forgotten-Precursor-20180626-0026.html

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趣旨

今、ラテン・アメリカでキューバを先頭とする社会主義、ないし社会主義を志向する大衆闘争が注目です。特に、昨年末(2015年)アルゼンチン、ベネズエラで右翼が勝利し、米国に支援された反動右翼と進歩的な人民大衆との熾烈な階級闘争が繰り広げられています。日本のマスコミは歪められたものしか報道していません。 だからこそ今、目の前で闘われている大衆闘争について現地の報道機関やブログで報道されているものを日本語にして日本の労働者に紹介していくことは、国際連帯としても日本での民主主義を闘いとる闘争にとっても有意義なことであるように思います。

おことわり

このブログでは英文記事を翻訳してご紹介しておりますが、筆者はかなずしも英語に堪能であるわけではありません。 従って、多々誤訳等があるかと思いますが、ご容赦願います。

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