8月13日は、故フィデル・カストロの91回目の生誕記念日(2)

  • 2017.08.19 Saturday
  • 05:19

キューバとベネズエラが、帝国主義に狙われているのは、その確固とした反帝国主義と国際主義の姿勢にもある。フィデルに続いて、我々が国際主義者であるためには、今、帝国主義諸国に制裁と脅迫を受けているキューバとベネズエラを支援することだ。


真の国際主義者として5ヶ国を支援したフィデル・カストロ

(5 Times Fidel Proved He Was a True Internationalist)

2017年8月13日 teleSUR発

A mural of late Cuban revolutionary Fidel Castro and former Venezuelan President Hugo Chavez.

故キューバの革命家フィデル・カストロと前ベネズエラ大統領のウーゴ・チャベスを描いた壁画。|写真:Reuters

 

teleSURはフィデル・カストロが生涯を通じて鼓舞し、支援した反植民地運動、革命運動

のいくつかと、彼が全世界に残した今も生きる遺産について考察する。

 

1.南アフリカの解放

   アンゴラは1975年1月15日にポルトガルからの独立を勝ち取ったが、国内では左派のアンゴラ解放人民運動(MPLA)、アンゴラ民族解放戦線(FNLA), アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の間での政治的衝突がエスカレートしていた。

 

  アメリカはCIAの工作によって覇権を獲得しようとしており、アンゴラ民族解放戦線(FNLA), アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に対し資金援助を行った。アパルトヘイトの南アフリカは(アンゴラへの)侵入、侵攻、マルクス主義者に対する妨害によって、CIAの工作を支援していた。

Cuban soldiers, veterans of Cuito Cuanavale

キューバ兵士、アンゴラのクイト・クアナベールにて。|写真:The Greanville Post

 

   フィデルの指導の下、25,000人以上の軍隊、軍事顧問がキューバからアンゴラに派遣され、遂にはアンゴラの独立が勝ち取られたのだった。

   1988年、アンゴラ解放人民運動(MPLA)はキューバの支援を受け、6ヶ月に及ぶ戦闘の末、遂にはクイト・クアナベール(Cuito Cuanavale)村において、南アフリカを打ち破ったのだった。この闘いは南アフリカにとっては極めて重要なものであったので、アパルトヘイト政府はアンゴラ解放人民運動(MPLA)とキューバの同盟軍に対し、核兵器の使用を考えたほどであった。

   キーバは、アンゴラ解放人民運動(MPLA)のアンゴラの大半の地域の支配を防衛し、隣国ナンビアの独立を支援することにより、白人至上主義国である南アフリカの野望を抑えつけた。アンゴラでの闘いが終わると、キューバはアンゴラに対し“私は出来る(Yes, I can)”という教育プログラムによる支援を行った。この教育プログラムで、百万人を超えるアンゴラ国民が読み、書きを学んだのだ。キューバはまた、医療プログラム、両国間の交流プログラムも提供した。

 

2.アパルトヘイトの国南アフリカ

   ネルソン・マンデラは、存命中に、アンゴラにおいてCIAの支援を受けた南アフリカに対する闘いにキューバが支援してくれたことが、反アパルトヘイトの闘いの勝利につながったと述べている。マンデラによれば、フィデルの率いるキューバは白人の圧制者の不敗神話を打ち砕き、南アフリカ国内の黒人大衆を鼓舞したのである。

Nelson Mandela with Fidel Castro in Matanzas, Cuba in 1991.

マンデラとフィデル・カストロ。1991年、キューバ マタンザスにて。|写真:AFP

 

   マンデラは1990年代初期にキューバを訪れたときに、こう述べているーー「敵意に満ちた帝国主義国こぞってのキャンペーンに抗して、キューバ国民が独立と主権を守るために払った犠牲に対し、称賛の意を捧げたい。我々もまた自国(南アフリカ)の運命の舵取りを行いたい。」

   マンデラが牢獄から解放されて、初めて訪れた外国がキューバだったのは、このためだったのである。

   マンデラは「キューバ人は、南アフリカの地に、医師、教師、軍人、農業専門家、としてやってきてくれた。植民地主義者としてでは決してなかったのだ。植民主義、低開発、アパルトヘイトとの闘いにおいて、我々と一緒に塹壕に入ってくれたのだった」と述べている。

   1990年6月に米国を訪問した際、マンデラは、キューバーアメリカ・コミュニティの右翼から、フィデルを支持していることについて批判された。共産主義を支持するのなら、アフリカに帰れ、とも言われたのだった。マンデラのアフリカ民族会議党は共産主義党になることはないが、マンデラのフィデルとキューバ革命に対する親近感は、すべての自由を愛する人々への励ましとなるという事実は揺るぎないものである。

   「数百人のキューバ人が、キューバ自国におけるのではなく、我々(南アフリカ)の国内における闘争において命を落としている。南アフリカ人民はこれを讃えなければならない。この比類なき無私の国際主義を決して忘れないことを誓う。」とマンデラは語った。

 

3.サルバドール・アジェンデのチリ

1970年代、左派のサルバドール・アジェンダはチリで大統領となり、国の経済的・社会的基礎の改革に着手し、自然資源の国有化、貧困層のための住宅建設を行い、医療・教育を国民にとって身近なものにした。

チリのアジェンデ大統領を訪ねたフィデル・カストロ。|写真:AFP

 

   1971年、アジェンデ率いるチリはアメリカと米州機構(OAS)による条約議定書を拒否した。同議定書は、西側の諸国がキューバと外交関係を持つことを禁じるものであった。

   このため、フィデルは一ヶ月にわたりチリを訪れ、アジェンデ大統領との連携を強めると共に労働者、学生、農民、に会い、左翼系の集会に参加した。

   1973年後半、フィデルはアジェンデに対し、チリ国内のファシズムを警戒し、軍を信頼しすぎることのないよう警告した。

   またフィデルはアジェンデに労働者を武装させるよう忠告した。フィデルは後年、振り返っている。「すべての労働者、農民がライフル銃を持っていたら、ファシストによるクーデターは決して起きなかったであろう。革命家にとってチリでの出来事から得られる最大の教訓がそれだ。」

   この頃、よく知られていることだが、フィデルはアジェンデにAK-47カラシニコフ自動小銃を渡している。アジェンデ大統領の最期の時間にラ・モネダ大統領官邸を守るために使えるだろうとしてのことだった。

   フィデルとアジェンデは、アジェンデが、アウグスト・ピノチェトがCIAの支援を受けて遂行したあの悪名高きクーデターで退陣を余儀なくされるまで、密に文書で交信していた。二人は互いに手紙を書き、お互いの国の政治的プロセスをどう改善していくかについて話合った。フィデルが、アジェンデの政党Popular Union の党員にアドバイスを与えていたことも知られている。

   9月11日のクーデターでアジェンデ政権が倒れた後、フィデルは演説し、左派のリーダーであったアジェンデが「ファシスト軍が束になっても叶わない、尊厳、名誉、勇気、英雄的勇気を持っていた」と讃えた。

 

4.帝国主義に立ち向かうサンディニスタ

   1960年代にキューバ革命が成功したことで中央アメリカにおいて右翼の独裁、米の帝国主義に抗して闘っている左派の社会運動、ゲリラ活動、が拡大することになった。これら左翼の活動グループの多くは、キューバ革命に鼓舞されただけではなく、ドミニカ共和国、エルサルバドル、ガテマラ、ハイチ、パナマ、ニカラグアでは、フィデルのキューバから直接的に支援を受けていた。

1984年、スペインのゴンザレス大統領に迎えられるフィデルとサンディニスタの指導者ダニエル・オルテガ。|写真:EFE

 

   1960年代に結成されたニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線は1979年に米の支援を受け独裁を行っていたアナスタシオ・ソモサを打倒し、集団識字運動・医療キャンペーンを展開し、同時に大幅に男女平等を促進し、経済格差を改善した。しかし、ラテン・アメリカの多くの国に見られたことだが、1980年代初期までにはCIAがニカラグア国内の右翼暗殺団コントラ(Contras)に資金援助を開始していた。

   フィデルのキューバは1960年代後半には、サンディニスタ民族解放戦線の支援を開始し、ゲリラ指導者の訓練を行った。革命後の時期、このキューバの支援は教育、医療分野にも及んだ。米の介入、右翼の暴力が拡大する中で、キューバはサンディニスタ民族解放戦線に武器、後方支援を供与し、帝国主義との闘いを支援した。

 

5.ボリーバル革命

   ベネズエラの指導者であった故ウーゴ・チャベスはラテン・アメリカを21世紀に導いた。

1999年に大統領に就任すると、チャベスはラテン・アメリカのいわゆる“ピンクの潮流(Pink Tide)”左翼政府の中心人物となり、急進的な社会政策を打ち出し、数百万の国民の生活を変える一方で南アメリカ大陸全土において米の帝国主義に抗して闘ったのだった。

フィデルとベネズエラの指導者ウーゴ・チャベス。|写真:EFE

 

   チャベスが率いたボリーバル革命はたちまちラテン・アメリカ全体に広がり、革新的な指導者の中でもボリビアで世界初の先住民出身の大統領となったエボ・モラレス、エクアドルで大統領に選出されたラファエル・コレアを鼓舞することとなった。注目すべきは、チャベスはフィデルを自分の“良き師”と述べていたということである。

   今ではキューバとベネズエラはエネルギー管理、医療、教育、農業などの社会プログラムでの協力など、ほとんどあらゆる産業、部門において、相互関係を保っている。キューバ革命、そしてボリーバル革命の理念を最も良く表しているのがミラグロ(Milagro)運動である。ミラグロ運動は2004年にキューバ、ベネズエラ両政府によって創設された国際連帯プログラムで、これまで両国のみならず南半球の34ヶ国の視力障害者を無料で治療している。

   「ミラグロ運動は強力なプログラムで、南アメリカ大陸はいうまでもなくアフリカを含む大陸を広くカバーしているので、フィデルとチャベスが設定した600万の患者という目標を間もなく達成することになりそうだ。」と、2015年にベネズエラの大統領マドゥーロは語っている。

   2008年は、マドゥーロは外務大臣であったが、チャベスの「1959年のキューバ革命を20世紀、21世紀を通じて“実際の政治的、経済的、そして文化的な独立”への“道”を指し示す役割を果たした。」という言葉に深く共感したのだった。

        マドゥーロは、キューバーベネズエラ政治協議団のメンバーを率いてキューバを訪問した際に「我々の関係は深く、これからも続く、戦略的な連帯・友愛であり、これによってこそ、我々は解放闘争を闘った先人達が夢見たように、一つの民族、一つの国家になったのだ。」と述べたのだった。(S)

原文URL:

http://www.telesurtv.net/english/news/5-Times-Fidel-Proved-He-Was-a-True-Internationalist-20160812-0015.htm

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趣旨

今、ラテン・アメリカでキューバを先頭とする社会主義、ないし社会主義を志向する大衆闘争が注目です。特に、昨年末(2015年)アルゼンチン、ベネズエラで右翼が勝利し、米国に支援された反動右翼と進歩的な人民大衆との熾烈な階級闘争が繰り広げられています。日本のマスコミは歪められたものしか報道していません。 だからこそ今、目の前で闘われている大衆闘争について現地の報道機関やブログで報道されているものを日本語にして日本の労働者に紹介していくことは、国際連帯としても日本での民主主義を闘いとる闘争にとっても有意義なことであるように思います。

おことわり

このブログでは英文記事を翻訳してご紹介しておりますが、筆者はかなずしも英語に堪能であるわけではありません。 従って、多々誤訳等があるかと思いますが、ご容赦願います。

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